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例祭(大祭)
4月8日 例祭当日の準備状況 (昭和55年4月8日実施例)

1)斎場準備
①御本殿前に白布を敷き眞榊を立て、御中門に日月旗と四神旗を立てた
②御拝殿に白布を敷き膝つき・座席・雅楽器・唐櫃・玉串奉奠等が行われた
③祓い所①②の準備は当日行われた模様

2)御神符授与
①御神符の授与(美濃市農業改良組合への御神符を受けておく事)
②御初穂品・御神酒奉納は芳名を記載し、御廻廊で奉献
③昼食は朝田屋(折り詰め)
④露天商から境内使用料奉納受付
⑤本庁幣席料・御神符料の内、田畑などの小札は御一体 金百円
御祈祷料一名 三千円

3)御廻廊での神饌・撤饌
4)来賓受付
①玄関前にて、大祭に昇段参拝の来賓を受付、微章とエフ渡し

5)来賓接待
①献幣使や来賓(お茶・お菓子・煙草用火鉢等)
②献幣使は直ぐに ほうを着用される

6)社務所表玄関にて、祭典参列者への御手水
①御太鼓の合図と共に氏子総代・奉賛会員や他の参列者が最初に行い
②次に神社側神職・献幣使・随員・市長・県議・市議会議長・地元市議の順で手水

7)典儀
①手水終った参列者・来賓を祓い所へ導き、整列し休憩姿勢を
②お拝殿にて来賓・氏子総代・奉賛会員各位に着座して頂く
③お拝殿芳名を読み上げ、玉串奉奠

8)記念撮影(松田写真館)
9)直会
①記念撮影後、奥座敷も開放して行う
②御神酒盃・長柄銚子にて順じ頂かしむ
③御神酒などの接待、来賓・氏子総代・奉賛会員・役員も直会参加
又巫女さんには お寿司 で接待
10)巫女さんは午前十時までに社務所へ着し、舞衣を着用し十時三十分の祭典開始に間に合わせる

11)加与丁
①午前十時三十分迄に装束をつけて献幣使唐櫃を御拝殿に移す
12)お餅まき 石灯篭付近は危険な為 投げないこと
大祭では、大勢の来賓を招き御本殿等開放で、本殿及びお拝殿にて御神事の後、伶人方の樂の演奏に合わせ巫女さんによる舞及び随員による獅子舞が奉納された。
下須原からも、太鼓を携え神社にきて、神楽舞が奉納された。
その後、沢山の鈴が付いた大きな 立派なおみこし が出され大勢の皆さんで担ぎ厳かに楼門をくぐり、下道を通って古田氏宅の横道を上がり、畑中にあるみこし休み(場所)までをお宝物の刀・槍・弓・矢等を一人一人が持って高く突き上げながら大勢の人達と掛け声(ヤートマイリ・ヤートマイリ)を掛けながら進んだそうです。
その時参列された武将姿(鎧兜・付け髭)の二人があまりにも大男で威厳が感じられたそうです。
又、巫女さんも赤い袴・うすい可愛い装束・右手にはいくつも付いた鈴を持って鳴らしながら行列に加わり彩りを添えたそうです。
畑中の みこし休みでは大勢の見物客の其の中を、東西に馬が走り抜ける見事な大祭であったそうです。
虫送り行事(虫封じ)
六月に入ると笹の葉にお札様を取りつけ、虫送り行事として畑の上を振りかざして廻ったそうです。
※現在は行われていない。
月例祭
毎月1日・15日は ごくう様 といって、神様に白いむし餅米とスルメをお供えしお祓いをされた。
参拝者にはそのむし餅米とスルメが少しづつ振舞われたため、子供心にうれしくて朝早く起きてお参りに行ったとのこと、又最後まで居ると残った物が又貰えるとのことで頑張った記憶があるとのことです。
その時の太鼓の音が、脳裏の片隅の記憶では デンデン デデンがデンカラカラカッコ デンデン デデンがデンデンデンデン ではなかったかと思うとのことです。
※現在は毎月1日のみ御祓い行事のみ有り。
水神様祭り
8月お盆の水神様祭りでは、神の岩(拝殿前川の中)の頂上にある水神様からお拝殿まで丸い小さな提灯を幾つも綱で渡し、村人(若い人から子供たちまで)達が大声で郡上節を歌い、踊ったそうです。
※神の岩頂上の水神様は 平成16年10月20日 台風23号の大洪水により流失されて現在は見ることが出来ない
特殊大祭(垢離取祭)
御神迎 11月30日
養老五年 当神社に越泰澄が神霊を釛請せる古儀を伝承せる神事にて11月30目に行われていたもの。
斎主は一週間前から斎籠殿に入室し、六色の禁法を守り無言の行を続け朝・昼・夜の三回神前から川へ向けて造られた道を、家形を造って神に仕える人と白い着物を着、肩には着替えを掛けて川の付近に行かれ、「こりとり」 (全身に水をかぶり体を清められた)を行い、その都度三社の神前参拝祝詞をされ斎主は斎籠殿内へ入室された。
斎籠殿内食事は忌火にて炊きたるもので、塩分は一切断ち忌火以外の火によりて成わる原料は一切用いざる等、洵に人知れぬ苦痛を忍び身を責むる致斎の様子筆舌に尽し難し。
この忌火は斎主意外の者の使用を厳禁し、一人の給仕は斎主に仕え毎朝未明に川に入りて禊を為し、然る後斎主の食事を調理したとされる。
晦日(30日)は毎時一回の禊を行い、更に夕方からは若者達(子供も含む) が打ち鳴らす太鼓のもと禊を行い、更に十二時以降ともなれば時間を早め、 殊に「返しこり」ともなれば入殿休息することもなく拝殿前にて拝を為し、直に引き返し禊を行いかくして五度・七度連続禊を行い慈に全く神身の汚蔵意念を去り、最後に「鳥帽子こり」ともなれば、斎主は鳥帽子を頂き数人の随員 (ませこおりと称す)に守護され伶人の樂の音も神々しく列を為して、最後の禊を行って入殿、更に座に就くことなく直に衣冠を改め中啓を取って、随員に守護され伶人の樂の音につれ斎籠殿から渡橋(一週間前に造られる)されて舞殿に昇段し御神事に入られた。
祭員の神伝板を打ちつつ神歌を奉する中で、斎主は静かに起ちて両手に真賢木を採り秘法を唱えつつ東・南・北の三方を拝す、この時点ですでに斎主に神が乗り移り全身が震えだし、天に昇られようとするのを他の神官さんが大勢で抑えられ、治まるのを待って皆に抱きかかえられ、斎籠殿入りとなる。非常に深秘を尽くして厳修し、終れば辰塑の払暁となる。
この神事には、神職を始め旧禰宜の内より二十有余名が神行奉仕し、徹宵打ち鳴らす太鼓(夜明けと共に子供達も一緒に)の音も勇ましく、老杉・古檜・蒼たる神域に斎主・祭員・随員等の姿は、庭火又は炬火の光に夜の戸張りに浮き出されて古典的なる、余りにも古典的にして実に神厳極まりなしの行事であったと伝えられる。
当日は露天商人も多く出店し、ガス灯又はお灯明で明かりをとり掛け声も勇ましく、本当に立派なお祭りだったとのこと。
又広場(境内)には怖いお化け屋敷も設営され、其の口上が今でも懐かしいとのことでした。

口上の一部分紹介
在所は名古屋のはばしたで、まま子いじめの幽霊が、髪はざんばらみだれ髪口にはこんにゃくくわえたり等々・・・
大祭の翌日は遊び日となり、区民総出で宮掃除を実施したとのことです。
※垢離取祭は 昭和初期14・15年頃までは続いていたと、推察されます。 (ご年配者談)
洲原神社//〒501-3706 岐阜県美濃市須原468-1-1//TEL/FAX:0575-32-2363//参拝時間:≪特に制限なし≫//≪但し社務所勤務者 9:00~16:00≫

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